シリコンバレーから将棋を観る



本書は、「ウェブ進化論」で有名な梅田望夫さんが語る・・・なんだろう。一言で表現するのは難しいですが、「棋士ってこんなに個性豊かで、将棋というのは棋力が高くなくても楽しめるんだ、というより楽しめるような環境を作らなければダメなんだ・・・」という話といえばいいでしょうか。そして、羽生さんとの対談。ウェブ観戦記も収録されています。
ウェブ観戦記はリアルタイムで読んだので、もう一度読み直しという感じでしたが楽しめました。ウェブで読めるとはいえ、本という媒体であると何故か安心しますね。
羽生さんの「ねじりあい」という言葉が印象に残ったのでメモ。
羽生 でも、将棋にはそれだけじゃない、ねじる、ねじりあいになる、ということがあるんです。さきほども話にでてきたような、複雑さとか、わけのわからなさに対して、ねじりあって、その場で対応することが大事になってくる。(P243)
佐藤 (略)やっぱり突き捨てられないと局面が単純化して負ける、と踏んだんでしょうかね。わかりやすく大味な展開になりやすいと。突き捨てたら、もう、しばらく受けに専念して勝つという展開にはなりません。どう味付けして複雑化させるか、というとこじゃないですかね。羽生さんは、あんまりいいと思ってる感じもしないです。(P196)
佐藤さんの言葉も引用したのは、羽生さんのいう「ねじりあい」というのは勝負のテクニックとしての「局面の複雑化」とは違うなーと思ったから。羽生さんはきっと、勝負師としてではなく研究者として、均衡の取れていてかつ可能性の広い漠然とした将棋を考えるのが大好きなんでしょうね。次のやりとりは面白かったです。
羽生 いや……やっぱりその、いかに曖昧さに耐えられるか、ということだと思っているんですよ。曖昧模糊さ、いい加減さを前に、どれだけ普通でいられるか、ということだと思うんです。
梅田 「とにかく早く簡単にしてくれ!」とは思わない、ということですか。そう思うと、負けちゃう。逆に、こんなに楽しい、わからなくて曖昧なものを、永遠に考え続けていたい!と思うような人が勝つ、ということですか?
羽生 そうですね、いや、ははは、そこまで言っていいかどうか(笑)。でも、そういうくらいの心構えでやっていたほうがいい、ということはあるでしょうね。(P245)
コンピュータ将棋が「ねじりあい」をやりだしたら面白いだろうなあ。
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