9四歩の謎―孤高の棋士・坂田三吉伝
映画「王将」で描かれている坂田三吉はまるで変人のようだといいますが、古い資料を紐といていくとそこには純粋で真率な坂田三吉像が浮かび上がってきます。特に、料理店で字の読めない坂田が、人の料理を見て「これを二人前頼んまっさ」と注文し、何故2人分だろうとボーイは訝しがったが、実はそれは迷惑をかけたボーイのために注文したものだった…というエピソードは、これまで頭の中にあった坂田三吉像を容易に崩壊させました。
前半の話の中心は坂田と関根のライバル争い。腕を磨くために駒だけを持って全国を旅するなど、今では考えられませんね。
上記の全国巡歴に関係することですが、賭け将棋には「n層」という、勝った時に得る金額を1対nにするハンデがあるんだそうです。これは必ずn+1局指すようになっており、確認すればすぐにわかることですが、1局でも下手が勝てば元が取れる仕組みになっています。もちろん将棋が強いにこしたことはないのですが、番勝負は精神的にも強くないといけないので番狂わせが起こりやすいとか。奥が深いですね。
後半は坂田の名人自称から棋界追放、そして南禅寺の決戦まで。2手目△94歩はあまりにも有名(月下の棋士でも出てきますしね)ですが、その一ヵ月後、今度は2手目△14歩と反対側の端歩を突いたことはあまり知られていないのではないでしょうか。連続で端歩を突くとは何か並々ならぬ気概を感じます。(結果はどちらも坂田の負け)
ところで、坂田三吉とは関係ないのですが興味深い話をひとつ。新聞に指将棋が始めて登場したのは明治31年のことですが、それより前の明治29年2月9日「萬朝報」に詰将棋の出題があったんだそうです。
「本日より毎日曜に詰め将棋を出すべし。解答の送付あれ。今日の詰方持駒は金一、歩一、桂二なり又詰手は次回の日曜紙上に出す。
それまで"賭け"のイメージが強かった将棋を健全娯楽として浸透させたのは新聞だったんですね。
9四歩の謎―孤高の棋士・坂田三吉伝岡本 嗣郎
