部活活動日
今日は部活活動日だったのですが、部員の集まりが悪かった上、猛烈な睡魔に襲われて4枚落ちの対局中に何度か意識がなくなりました。結果はどうにか勝ち。手練手管。(上手の)内容がひどいので今回は棋譜はなしです。△98歩の優秀性を痛感。
読んだ本や指将棋・詰将棋について書いてます。倶楽部24は最高2700点くらい。平成20年度看寿賞(長編賞)を受賞。詰パラ大学院の担当やってました。
今日は部活活動日だったのですが、部員の集まりが悪かった上、猛烈な睡魔に襲われて4枚落ちの対局中に何度か意識がなくなりました。結果はどうにか勝ち。手練手管。(上手の)内容がひどいので今回は棋譜はなしです。△98歩の優秀性を痛感。
発表されましたね。長編は全体を把握していないので予想していませんでしたが、短編・中編は予想通りでした。
高坂さんの作品は銀の回転がテーマ。「合駒を発生させていること」「難解な初手」の2点が評価された結果だと思います。盤面9枚でこの初手が成立しているとは驚きです。
有吉さんの作品は曲詰+移動合3回が主張点。移動合のそれぞれの意味付けは簡単なものですが、無駄なくスッキリと出来ていて感心させられました。受賞は当然だと思います。
長編は田島さんの作品。角合をさせるために香の柱を作って、79角を活用するためにそれを崩すという斬新な構想作。この作品はもうちょっとで解けていたのですが…残念です。
「グッド・バイ」(太宰治、新潮文庫)を読む。太宰治の活動時期を前期・中期・後期の3つに分けるならば、「グッド・バイ」に収められている作品群の発表時期は後期にあたります。
「フォスフォレッセンス」(青空文庫で読めます)は詩情豊かな作品ですが、なんだか危険な香り。虚構の世界に溺れています。現実世界も虚構なのかもしれないけど。この作品のラストは秀逸です。
「冬の花火」 「春の枯葉」は読まず。どうもこういう(戯曲風の)形式は読む気がしないんです。でも時間があったら読んでみます。 「男女同権」「グッド・バイ」はユニークな作品。
蔵書点検がある影響で近所の図書館が暫く使えません。読む本がなくならないといいけど。
倶楽部24でHAHAHAHAHAさんの将棋をみました。戦形は、むかし流行った「42金型右四間速攻」をHAHAHAHAHAさんが受け止める展開。図は76にいた金を77に引いたところなのですが、これが角筋を通しつつ▲53桂成以下の強襲を見る絶妙の一着で、観戦者は一様に感心していました。
図から△32銀▲54歩△65金▲同銀△64歩▲56銀△65桂▲同銀△同歩▲76角!△85歩▲同角(投了図)
62飛・35金・22玉の位置関係が最悪で、△44角と先打することもできないので投了も止むを得ません。神懸かり的な将棋を見ることができました。
最近4枚落ちばかり指しているので、企画名を間違えたかなと後悔しています。図は▲55歩とついたところ。俗にいう「上手5五歩止め」というやつです。△62飛は立派な応手ですが、▲56銀に△66歩は恐らく軽すぎで、▲68銀以下盛り上がることに成功しました。
数十手進んで図。6~7筋を完全に制圧してしまいました。▲85金からちょっかいを出して以後は大差。
序盤の△66歩が成立しないのであれば、下手は△73桂と跳ねてからでないと△63銀と上がれません。駒組みに制約のある戦いは下手にとって難しい筈。5五歩止めは早すぎたかもしれません。
待ちに待った駒場さんの作品集「ゆめまぼろし百番」ですが、どうやらもう予約できるみたいです。ちなみにAmazonはまだ検索しても表示されないよう。
はるか昔の詰将棋全国大会で、駒場さんに「煙詰は1つ作れば感覚がわかる」とのお言葉を頂戴しました。最近、その意味がほんの少しわかった気がします。
作品集、収録作品は手許にあるのですが、楽しみです。虚空の雲(仮)を見ると作品集について何かがわかるかも?
軽く流し読み。比較・比喩・引用は強力な武器だと再認識しました。でも実際に数をこなさないと身に付かないんですよね。
当然ながら平易な文章を書くことを推奨しています。しかし、説明のなかに「サーベイする」なんて耳慣れない横文字が幾つかあって不満。日本語にしない理由がわかりません。
ところで、
◆サボる――sabotageは「破壊工作」という意味であり、「怠業」という意味はない。
とあるけど、「破壊工作」ってどういう意味だろう。
収束がつまらない昔創った作品と使用駒が似ていたので、無難な収束をつけました。あと銀1枚どこかにおけば完成。でも配置が拡がりすぎだし手順も合駒3回といえどもつまらないので投稿せず。ちなみに27手詰です。
流れる星は生きている
藤原 てい
満州から日本への奇跡の生還を描くノンフィクション。著者の夫は作家の新田次郎氏で、また次男は国家の品格で有名な藤原正彦氏です。
かつて不毛地帯(山崎豊子、新潮社)を読んだ時に、終戦後に主人公壱岐がシベリアで強いられた労働の苛酷さに驚いたものですが、著者が経験した状況もかなり深刻なものです。なにせ子供3人を抱えて、物を乞い、無蓋列車に揺られ、山を登り、日本を目指さねばならないのですから。
極限状態においては法は無力です。自分たちの生存のためには手段を選ばないという著者の正直な告白が印象に残りました。
何もコメントがない間は自分でボチボチ進めることにします。
基本図から数手逆算しましたが、イマイチ。22の竜を飛に代えれば馬を49に配置することもできるがどちらがよいかは難しいところ。飛だと後の逆算が難しそうな気もします。今日はこれだけ。
こういう素材を持っているのですが、思ったより逆算が進みません。
逆算の方法としては、44玉の局面で▲42飛成△54玉と進んだと仮定するのが普通でしょうか。しかし、竜の移動元は選択肢がいろいろあって悩ましいところです。
逆算が進みそうな、よい案があれば気軽にTB・コメントを下さい。盛り上がってくれば、新企画ということで正式に?スタートさせます。
日本人はなぜ英語ができないか
鈴木 孝夫
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有史以来独立を保ち、他民族の言語を押し付けられることがなかった日本。現在、日本では殆どの人間が日本語を母語としており、しかも日本語以外の言語を生活で使用することがありません。これは珍しいことなんだそうです。この辺の事情は日本語(上)(下)(金田一春彦、岩波新書)に詳しく書かれています。
先進国の技術を、その国の言語を学び・吸収することで発展した日本。高度経済成長期に進んで外国の言語を吸収したことは英断であったと著者はいいます。
しかし、日本が先進国の仲間入りを果たしたいま、他の言語を受動的に受け入れるだけでよいのか。むしろ、日本語を積極的に世界にアピールするべきではないのか―。
複数の言語を使う習慣のない日本人が多言語を用いて世界に情報を発信するには、生活に密着した身近な語句・現象を即座に英語に変換する技術が要求されます。しかし、英語を米国の文化を題材に学ぼうとしてきた日本人にはこれができません。そこで、英語を日本の文化を題材に学べばよいのではないかというのが著者の打ち出した新機軸。言われてみればなるほどという発想の転換で、現に中国では他言語を学ぶ時に中国に関するテキストばかり読んでいるんだとか。
話はそれますが、日本におけるTOEFLの平均スコアは世界的に低い水準にあります。しかし、「他国の受験者は少なく日本の受験者は多い」という理由から、これを日本語の英語力の低さに直結させるのは危険なんだそうです。
英語を学ぶ意義を考えさせられる一冊です。
風邪気味なのですが最近更新を怠っているので書きます。今日は4枚落ち。
こっそり歩を垂らしておいて、
△27成香と取らせて▲23歩△同金▲15桂。このあともガジガジ攻めて勝ちました。両端の桂が増えると心強いものですね。局後に角が使えなくなった原因を指摘し、代替案を示して終わり。
日常のことを書かないとネタが続かないことが判明したので、やっぱり近況報告は続けようと思います。桂花さんの、将棋と日常を別エントリーで書く手法を採用してみます。
高専4年生ということで夏に企業研修が控えているのですが、(いや、強制ではないのですが報告書書いて1単位ってのは大きいので)どこに行くか悩んでいます。研修期間は会社によってバラバラなのですが、8月末に高専将棋大会がある関係であまり選択肢がないんです。機械・電気より情報系の会社を見てみたいのですが…。どうしよう。
やっぱ公務員なろうかなあ…(ぇ
勝手に将棋トピックスで知ったのですが、将棋世界8月号の付録は「片山倫生短編詰将棋集」だそうです。前に塩見さんの作品集が付録になればいいなと書きましたが、まさか現実になるとは…。これは買う一手ですね。
今日も将棋を指すも、急な来客やポカに不機嫌になって連敗。
模試とか大学受験の反省ならともかく、ただの試験の反省って読み返してみると全く面白くないものですね。記事の統一性も失われますし。なので消してしまいました。日常の話題はmixiに移行させる方向で。試験の記憶は抹消する方向で。(ぇ
将棋を何局か指したのですが集中力が持たず。△94香△92飛から93経由で桂馬が跳ねてくる雀刺しを始めてみました。
ここでの指し手がわかりませんでした。▲75歩と伸ばせばまさか△85歩とは突いて来ないと思うのですが、以下▲77銀△75角と一歩取られる展開は意外に難しい気がします。
実戦は迷った末に▲77桂と跳ねたのですが△82飛と戻られて難局。後手の矢倉は主導権を握れないので嫌いです。
国家の品格
藤原 正彦
このようにして世界はヨーロッパ、二十世紀にはヨーロッパを継いだアメリカに「してやられた」わけです。(略)いま世界中の子供たちが泣きながら英語を勉強している。侵略者の言葉を学ばなければ生きていけないのですから。
もしも私の愛する日本が世界を征服していたら、今ごろ世界中の子供たちが泣きながら日本語を勉強していたはずです。まことに残念です。
「国家の品格」を読み始めたのですが、ここで手が止まってしまいました。
言葉の位置からして、「まことに残念」というのは「侵略者の言葉を学ばなければ生きていけない」ことではなく「日本が世界を征服して」いないという部分に係っていると思うのですが、「世界中の子供たちが泣きながら日本語を勉強」する世界はそんなに喜ぶべきものなんでしょうか?
既に200万部以上売れているそうですが、なんだかなあ。こんな歌詞が頭をよぎりました。
限りなく理想に近い様に見える
この文明は日進月歩
凌ぎを削って企業は先を競う
一般市民よ 平凡な大衆よ
さあ コマーシャルに酔って踊ってくれ…Mr.Children 傘の下の君に告ぐ
明日からテスト。初日は工業力学だけ。
他人を見下す若者たち
速水 敏彦
他人を無能な存在だと思い込むことによって得られる「有能感」。この「有能感」が若者を傍若無人な振る舞いへと導いているのでは?というのが著者の主張です。
この「有能感」は自分の努力から得られる自信(=自尊感情)とは異なります。根拠(努力したという事実や形として現れた結果)のある「自尊感情」と違い、「有能感」根拠のない自信なのです。著者は横軸に「自尊感情」縦軸に「有能感」をとって人間の性格を4つに分類しています。
有能感を増幅させる要因として、親の躾の甘さインターネットの普及があげられています。他者との関わりのなかで自己を形成しないと肥大した自己愛だけが残るというわけです。
将来への希望のなさからくる無気力感。外界への興味の無さ。自分にも思い当たる節があってどきっとしました。読みやすい本です。
詰パラ6月号に1作掲載されました(上図)。今回入選したコーナーは、ある一定の評価を得ないと入選扱いになりません。でもごく軽い作品だからどうなることやら。
それはそうと、ついに駒場さんの作品集が完成したそうです!(詰将棋について語る掲示板)。僕の短評が数個載ると思われるのですが、なにせ書いたのは約3年半前。実はどんな評を書いたか覚えていません。作品集自体は楽しみですが、短評に関してはかなり不安…。