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羽生 21世紀の将棋

これまでレビューには客観的に重要だと思われることをまとめてきましたが、疲れる?ので若干主観的感想にシフトさせます。今回は再読したこの本。この本は考えさせられることが多く何度読んでも楽しめます。

羽生 21世紀の将棋
保坂 和志
羽生 21世紀の将棋

本書は簡単にいうと羽生の「将棋論」を言語で表現しようという目的で書かれています。たとえば、羽生にとって「棋風」とは何か?「読み」とは何か?「最善手」とは何か?etc…。

ここで凡人には不思議なことがひとつ。それは羽生が指し手を決めるときの判断基準です。

羽生の考えている<最善手>とは、<いままで指した手が最も生きる手>のことだ。(P62)


"最善"の基準は結果からではなく、そこにいたる指し手が決める(P63)

これは、ある局面での次の指し手を決めるとき、そこに至る手順をわかっているかどうかで結果が変わる可能性があるということを意味しています。しかも、「読みの蓄積」とは別次元の「流れ」という要因によって。

「流れ」によって見出された「最善」手と、神の―将棋を俯瞰した―視点から見た「最善」手が必ずしも一致しないことはいうまでもないことです。しかしながら、将棋界の第一人者が、それまでに得た全知識・経験と「流れ」によって指し手を決定していることが不思議に感じられるのです。

実は、なぜ「不思議に感じる」のかは自分でもよくわからないのですが、恐らくそれはデジタル全盛の現代においてこのアナログな方式が頼りないものに感じられるからでしょう。しかしさらに読み進めていくことで、将棋の指し手の可能性が人間(あるいは計算機)の手に負えないものだからこそ、そこに「感性」が入り込む余地があるのだと考えるようになりました。

他にもいろいろと考えたことがあるのですが、うまく言葉にできないのでまたの機会にしたいと思います。最後に「光速」にまつわるエピソードが面白かったので少し長いですが引用します。

竜王戦での二つの指し手は、BSで中継されている最中に指され、その瞬間、解説の棋士はどちらの場合も、たんなる動揺を越えて、口許が歪み、適切な言葉を失い、見てはいけないものを見てしまったときのような、自分自身の存在の基盤が揺らいでいるような状態になった。(中略)この二手が指されたときだけは将棋中継を大きく逸脱した。

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