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わかったつもり

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因
西林 克彦
わかったつもり(西林克彦、光文社新書)

軽く読んだだけなので「わかったつもり」をしているのかもしれませんが、「どの程度の理解度を要求しているのか?」というような疑問に明確に答えて欲しかったなというのが感想です。

微に入り細を穿つ読書方針は確かによりよい(=多角的な)理解を読者に齎しますが、果たしてそれはどれほど有益なことなのか。本書では小学生用の教材が幾つか例示されていますが、それにさえかなりのページ数を割いています。これが普段読むような書類・小説になるとどうなってしまうのでしょうか?

この疑問はとりあえず保留しておくとして、文章の「理解」に関する論理自体はよどみなく展開されていてとても参考になりました。

ある文章を、それぞれ文脈Aと文脈Bで読んだとします(ここでいう文脈とは「物事・情報が埋め込まれている背景・状況」〔P50〕のこと。本文中の例だと、主人公が「失業者」であるか「株仲買人」であるか)。すると、当然の事ながら解釈A'と解釈B'がうまれます。つまり、文章の意味を規定しているのは読み手が仮定する「文脈」なのです。

これは「整合性」が保たれているうちは複数の解釈を認めることを意味します。整合性が保たれない例としては、本文中の例で云うならば、例えば「主人公はスポーツ選手である」という仮定でしょうか。本文の例文中にネクタイを締めるシーンがあるので、主人公がスポーツ選手ということはまずありません。

…と書いてみたものの、解りにくい気がするので少し長いですがこの例文を引用しておきます。

男は鏡の前に立ち、髪をとかした。剃り残しはないかと丹念に顔をチェックし、地味なネクタイを締めた。朝食の席で新聞を丹念に読み、コーヒーを飲みながら妻と洗濯機を買うかどうかについて論議した。それから、何本か電話をかけた。家を出ながら、子どもたちは夏のキャンプにまた行きたがるだろうなと考えた。車が動かなかったので、降りてドアをバタンと閉め、腹立たしい気分でバス停に向かって歩いた。今や彼は遅れていた。(P57~58)

この「整合性」は文章を読み進めていくことによって変化するでしょう。著者は、文章を「よりよく」理解するためには、想像・仮定を築いては壊し、また構築していくことが大切だとまとめています。

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